インタビューを受けました!

2021.02.25

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先日ありがたいことにインタビューを受けましたので
こちらにも原文を掲載します

↓↓↓

今回は、宮城県気仙沼でデザイン会社をやられている、代表の佐々木義洋さん(以下 佐々木さん)にお話を聞いてみたいと思います。

佐々木さんは、SNSを通してwebマーケター・webライター・webデザイナー・コーダーの募集を行っており、そこから今回のインタビューをさせてもらうことになりました。
インタビューでは、WEBデザイナーという仕事への取組みはもちろん、プライべートな部分も聞かせて頂いています!
また、気仙沼といえば、やはり東日本大震災の被災地のイメージが、いまだ強く残っている方もいるでしょう。
そのあたりも含め、さまざまな話をさせて頂きました!

webデザイナーとして~「なにをやっても、伝わらなきゃ意味がない」~

–まず、現在の仕事内容を聞かせて頂けますか?

今はホームページ制作の運用をメインに、その他ロゴデザイン・ポスター・パンフレット・チラシのデザインなども行ってます。
イベントやキャンペーンなどで必ずポスターやチラシなどが必要になるので、まとめてデザインできるという点で、頼まれることが多いです。

–じゃあ幅広いデザインの会社ってことですよね?

そうですね。ただ「なんでもやります」だとひっかかりがないので、ホームページ制作とロゴデザインが得意です!と推してます(笑)。

–デザインをする上でのこだわりは?

一番は「伝わりやすくわかりやすい」ですね。
なにをやっても、伝わらなきゃ意味がないので。

–こだわりと少しかぶってしまうんですが、アピールポイントや強みみたいなものはありますか?

「ストレートな表現」が得意ですね。
ポスターにしてもホームページにしても、「誰も見ない」っていうのをまず大前提に考えてます。
道を歩いてても、スマホで検索してても、広告やサイトを見るか見ないか一瞬で人は判断するので、そこをいかに振り向かせるか、ストレートでわかりやすく伝えること、そこを一番意識しているので、自分でも強みだと思っています。

–ちなみに僕もSNSのライター募集でささきよさんを知ったわけですが、外注さん募集するなかで、求めている人ってどんな人ですか?

やっぱり提案力ですね。
自社の運営しているサイト見てもらって「こういうの書けてこういうコンテンツ書けるんで」って提案してくれたら嬉しいです。
提案とか何かを生み出すって、楽しいじゃないですか。
失敗を恐れてやらないではなく、失敗したら失敗したで、そこから分析もできるので、そういうのをどんどんやっていきたいですね。

–結構佐々木さんのTwitterを見てると、外注さんに対しての「優しさ」みたいな(笑)愛を感じるんですが、なにか「あえてこう接しています」みたいなのありますか?

自分も下請けなので、気持ちがわかるっていうのが大きいのですが、良いパフォーマンスを出すためには、緊張感よりはリラックスした雰囲気の方が良いと思います。そこで良い記事が書けたら、集客に繋がり、さらに次の仕事にも繋がり。。と良いことばかりなので、「単発的にお仕事を」ってより、良い出会いがあったら楽しいなって思って接しているだけですね。
僕自身は「優しい」とは思ってないです(笑)

これまでの道のり~「この人生どうなんだろうと疑問に思うようになり独立」~

–佐々木さんは大学から専門学校にすすんでいますが、デザインの道に進んだきっかけって何かあったんですか?

大学が建築学科だったんですよね。ただ、「本当にやりたいのかな?」ってモヤモヤしながら大学に行ってたんです。
課題とかも遅れがちで……(笑)
で、あるとき先生に呼び出されて「建築好きか?」って聞かれたんですよね。
嘘でもいいから「ハイ」って答えておけばよかったんですが(笑)
答えられなかった自分に気づいて、そこで「自分に好きなものやれないって、先生にも迷惑だし、自分の時間を無駄に費やすのももったいないな」って思ったんです。
その帰り道にコンビニで立ち読みしてたときに、iMacでデザインできることを知って、それがきっかけになりましたね。
後、建築のように「みんなでつくる」ものではなく、「自分一人で何かを作る」ことがしたくて、グラフィックデザインの道に進んだ形ですね。

–その後、デザイン系の会社に就職されていますが、これはどういった経緯で?

専門学校の求人広告を見たら、当時はまだ「やる気があれば未経験可」っていうのが多くて。
話を聞きにいったら、趣味の面でもその会社の社長と話が合って、それが良い出会いになったんですよね。
小さな会社の方がチャンスが多いのかなということも考えて選びました。

–その後、フリーになっていますが、フリーになったきっかけは?

務めていた会社では、旅行雑誌のエディトリアルデザインを8年間やってたのですが……小さな会社だったので、徹夜だったり休日出勤もあったりで……。
終電ギリギリになるまで先方からの連絡を待ったりとか……。
それで、「この人生どうなんだろう」と疑問に思うようになり、独立を決めました。
独立してからは会社の縛りがなくなって、ホームページ制作もやるようになり、仕事の範囲が広がりました。
しんどいはしんどかったんですが、家に帰れなくなる不安はなくなりました(笑)。

–でも、やっぱりフリーの苦労もありました?

そうですね、フリーで儲からない時期もあって。
家賃を半年位貯めちゃったり……みたいな時期もあって、フリーで働きながらデザイン会社を手伝う派遣の仕事をしてた時期もありましたね。

気仙沼で会社を立ち上げたきっかけ~「高校位の頃から気仙沼を出たいって気持ちはありました」~

–東京でフリーで活躍していたのに、地元気仙沼で起業したのは何がきっかけだったんですか?

田舎に両親がいて、長男なのでいずれは帰らなきゃとは思いつつ、気仙沼はデザインの仕事がないとモヤモヤしていたんですよね。
そんなとき、補助金で気仙沼に起業できるというチャンスもあって、それがきっかけになりました。自分の仕事はネット環境があれば東京の仕事もそのままできるということも大きかったです。

–気仙沼でwebデザイナーをはじめてみて、どうだったのでしょうか

やっぱり地元人って強くて、「どこどこの誰誰さんの息子さんね」とか「あのお店やってる人の同級生ね」みたいな繋がりが強くて、一気に広まりましたね。
そのおかげもあって、今では9割が地元の仕事ですね。
東京って仕事も多いですけど、結局競争相手も多いじゃないですか。
気仙沼は仕事は少ないけど、競争相手が少ないので、同じといえば同じかなと思いました。

–ちなみに……僕のイメージなんですが、デザインの専門学校って東京に憧れがあるイメージなんですが、あえて気仙沼に戻ったっていうのは何か思い入れがあったんですか?

それが、気仙沼ってやっぱり田舎なので、元々は「田舎を出たい」って気持ちの方が強かったんですよね。
気仙沼に戻ったのも、気仙沼に魅力や愛着があったわけではなく、震災があって「なにかしなきゃな」って思ったのと、同級生や家族がいるところが大きかったですね。
実際住んでからは、意外と不便さは感じないなと、気仙沼の住みやすさを改めて実感しましたね。

–気仙沼を出たい気持ちは、昔からあったんですか?

そうですね、高校の頃から「気仙沼を出たい」って気持ちはありましたね。
よく「震災前の景色がなくなった」ってよく聞くんですが、高校の頃まで、自分は東京に行くものと決めていたので、地元で遊んだりもなかったので、正直「昔の景色」って言われてもピンと来ないところもあります。

–それが今では気仙沼の情報を多く掲載してるって面白いですね(笑)大人になって戻ってみて改めて魅力を感じたっていうところですかね?

そうですね、20代の頃に戻ってきてたら、やっぱり「東京の方が面白いこといっぱいある」って思ったかもしれませんね。
40代で戻ってきたのが、丁度良かったかなと思います。
今は、改めて気仙沼を勉強しなおしてるような感じです。

東京と気仙沼での仕事の違い~「デザインってなに?ってところから始まるんですよね」

–デザインの仕事って、やはり東京と地方で違うって言うじゃないですか。気仙沼でなにか東京と違う部分って感じましたか?

東京だとデザインの仕事っていうと伝わるんですけど、地元だと「頼みたいけどなにをすればいいの?」「デザインってなに?」ってところから始まるんですよね。
また、大きな看板とか目に見えるものだとお金をかけても、目に見えないものに対してお金を払うことに抵抗があるところがあるんですよね。
そういったところの「デザインの価値」を説明するところが、少し時間がかかるところですね。

–やっぱりデザインの仕事って地方だとまだ浸透していないんですかね?

だんだん理解はされてきてると思います。
ただ、二極化してますね。デザインに理解のある人はどんどん先を進んでいます。
よく「儲かってからデザインを頼みます」と言われるのですが、儲けるためにデザインが必要なんだけどな。。と思うことも多いです。。

–そんな地元の方とデザインの打ち合わせって難しいと思うんですが、打ち合わせで工夫してることとか、どういうことを心掛けているとかありますか?

まずは不安になってると思うので、いくつか例を出しますね。
「同業者さんでは、こういう風にしますよ」っていう情報を与えると、安心してもらえます。
こちらからいくつか案を出し、そこから選んでもらう
また、文章をくださいといっても、なかなか書けないと思うので、こちらがそれっぽい文章や画像を貼って、それを叩き台にしてもらい進めたりします。

被災地気仙沼の実感と今~「1階部分は潰れて、2階部分が流されてしまいました」

–「昔の景色でピンとこない」とおっしゃってましたが、被災の実感って、どんなところで感じましたか?

実家が津波で流されたのですが、両親は無事だったんですが、1階部分は潰れて、2階部分が流されてしまいました。震災が起きてから10日後ぐらいに親戚の家に避難していた両親に会いに行ったのですが、道路の上に家があったり、瓦礫の山に、魚の生臭い匂いとか、今でも被災した様子はハッキリ覚えてますね。

–そしてやはり、皆さん気になるところだと思うんですが、2021年になった気仙沼の現状ってどんな感じなのでしょうか?

橋や道路、施設などいろんなものが街に出来て、活気を取り戻しつつあり、震災から10年で、今度は自分たちがみんなのために何かお返ししたいと思ってイベント案も出ていたのですが、それよりも今はコロナで大変でそれどころじゃないですよね。。
最近も大きな地震がありましたが、10年経っても、嫌なイメージは変わらず、津波警報が出たらみんなすぐ逃げるでしょうね。

–よくテレビとか「今でも仮設住宅で暮らす人」みたいな特集あるじゃないですか。実際はそのあたりも変わってきてるんでしょうか?

仮設住宅って学校のグラウンドにあるんですけど、そこに人が住んでる限り、グラウンドが使えないので、「子供に負担かかってるよね」という声が多いです。

「一緒になにかしたい」と思わせる魅力を感じさせる豊かな人間味

–最後に、今後の取り組み・展望は?僕のイメージでは、地元で社長で活躍していて、結構もうゴールしてるのかなって思ったのですが(笑)

おかげさまで地元の方からたくさんの仕事をいただいてますが、これからはもっと地元以外から仕事をもらえるようにと思ってます。
目の前のひとつひとつの仕事を、過去最高の仕事に仕上げようと考えるだけで精一杯です。

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今回インタビューで僕が感じたのは、アバウトな表現になってしまいますが「不思議な魅力」でした。
“THE経営者”という雰囲気でもなく、”めちゃくちゃ熱い男”という雰囲気でもないのですが、「この人となにかしたいな」と思わせてくれる方です。
僕のつたないインタビューにも、優しく柔軟に対応してくださり、それこそ”わかりやすく”話してくれました。
「エビデンスが……」「アジェンダが……」みたいな、伝わりにくい言葉は一切なかったです(笑)
また、過去の気仙沼のことやリアルな被災地の事情も、包み隠さず話してくれたので、自然とこちらも素になってしまいました。
「かっこつけてないのにかっこいい」「優しくしていないのに優しい」この素の性格から出る部分が、佐々木さんの魅力だと思います。
デザインを依頼したい方、なにかしらで協業できそうな方は、是非佐々木さんと繋がってみてください。
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